Wednesday, August 25, 2010

私に日本を恋しくさせる物。



それは米。
どんなにインドで日本米風に作られた米(2kg/800円)
を食べても、
ああ、あの、ピカピカ輝く白いご飯にはかなわない。

(もしかしたら最近売り出されてるコシヒカリを
買えば違うのかもしれないけど、高すぎ!)

あーー、あの白いご飯だけで三杯はいけるな。


第一印象/ステレオタイプ/人種/国民

今日、マイノリティーとエスニックグループの授業で、
外国人生徒全員が、インドに初上陸した時の印象を聞かされた。
なぜならそれが、一つのステレオタイプになるから、だそうだ。
私は「50年前の日本にいるみたいだ」と感じだと回答。
でも、多くのヨーロッパ人の学生は、
「じろじろ見られたー、白人として、女として初めて認識させられたー」
と答えていた。

ふむふむ。
やはり、インド人はあの白いきれいな肌に明るい色の髪に憧れているわけで、
このモンゴロイドの顔をした私とは、また違った接し方があるようだ。

しかしこのモンゴロイドの顔が最近、私のアイデンティティーを壊し始めている。

インド共和国民の中にも、モンゴロイド系人種は存在する。
彼らの故郷はインド北東部に位置する州だ。
もちろん、彼らはインド国内でマイノリティーとして扱われる。

デリーは移民都市なため、色々な人種や宗教、文化が入り交じっている。
それが私がデリーが好きな理由の一つでもあるが、
そのため、多くのモンゴロイド系インド人を見る。

私も、夜中を一人で歩いていると、娼婦に間違えられたりする事がある。
嫌な思いもするが、インド人に
「君はインド人みたいだね」って言われる事が嬉しかった。


アッサム州(インドの北東部最大の州)を旅行中に、
ナガランド人(これまた北東部のインドから独立を狙っている州)に間違えられ、
荷物検査やIDカードを要求されるなど、警察からひどい扱いをされた。
私は、日本人であり、身に覚えの無い差別的な対応にかなり頭に来て、
朝っぱらから、小さい待ちのヒーローの警察官を市民の前で、
赤っ恥ヒーローにしてしまった。
また、同じアッサム州のバス停で早朝バスを待つため、
バス停で寝ていたら、同じく警察が私のおでこをつついて起こし、
IDカードを要求された。
ヒンディーで話しかけられる。ヒンディー語はインドの公用語として認定されているためだ。
しかし、ヒンディー語圏ではない州だって半分はあるインド。
英語だって公用語として認められている。
私の顔をみて、北東部だと思うなら、是非英語で話しかけていただきたい。
インド北東部の人はヒンディーを話すが、彼らの母国語ではないのである。
さらに、この言語に関しては、大学でもよくあるのである。
学生から大人気の教授(ヒンドゥーナショナリストという噂)の部屋に言った時も、
一言目はヒンディーで
「どうしたの?すわりなさい、お水でも飲む?」
どんなに見たって、私はアーリア人種ではない。
それなのにヒンディー語で話しかけて来る。政治問題を取り扱う教授がである。
私はそれ以来、この教授があまり好きではない。


そもそも、その警官の対応をひどすぎる。
日本で警察と名乗る人が来ても、私は絶対に信じない。
かならず、相手の身分証明書を見てからでないと、
絶対に自分の身分は明かしたくない。普通はそうである。
しかし、このインド、アーリア人であり、国の機関で働くものは、
絶対的な力があり、(というのも国が腐敗しているから)
何かした時には、逆らえないため、多くの北東部出身者は、
あきらめて、彼らの要望に応じる人が多い。

差別を受けてから、非常にインド人(アーリア人)の対応に
反応していまう自分がいる。

生まれた時から死ぬまで差別が続き、さらに自分と同じ国の人が
自分を差別している、という状態の中で生活する人がたくさんいるのだ。
彼女、彼らの経験から比べて、
私の問題なんてパスポートを見せれば済む話しで、どうってことないのである。

私は日本人として、インド北東部の人と間違えられ差別を受ける。
日本にいても、時々外国人として間違えられる。
私の日本人としてのアイデンティティーはどこにいったのだろうか。
しかし、いつから私は日本人離れしたのだろうか。
日本人の人と人との付き合い方を否定し始めた頃からなのではないか。

そうなると、
私が差別されるのも、自分がまず自分の国の人を
差別したからなのではないか。
自業自得か?


今日、チリ人の友達と図書館を出る時も、私だけ荷物チェックを受けた。
その友達は、私の問題をよく知っていて理解してくれているからか、
「あんたは何がしたいんだ?」
って、私の代わりに言ってくれた。

To get angry is to show your weakness

インドに戻ってすぐしなければならない事。
それは、FRRO(外国人登録)。
これがまた、インド在住外国人の大きな山なのである。

というのも、早朝から
「外国人の長蛇の列+インド人の作業の遅さ」
がその理由。
とりあえず、待たされるので、FRROへの必需品は
Ipod、 DS、PSP、本、そして食料。
本当に待たされるのだ。
しかも、その作業の遅さに加えて、彼らの機嫌によって、
理不尽な理由を付けて、追い返されたりする。
インドのお役所はいつもこんな感じなのである。



友達のすすめで、午後の窓口が閉まる直前に行くと、
その長蛇の列がなく、すんなりと終わるというアドバイスを
信じて、授業後にオートでFRROへ。


げげげ?けっこう並んでるけど?
とりあえず、建物の中に入れてもらえたから、
この列が終われば、書類チェックをしてもらえて、
奥のカウンターへたどり着ける!

と列に並んでいたら、前の方に大学院での友達、
マリアがいた。お互い書類の最終確認をしあい、
順番はマリアの書類チェックの番になった。

ドキドキしながら、お互い目でやり合っていると、
役人さんが、
「あーもう僕の仕事の時間は終わり!月曜にまた来なさい!」
えええーーーーー!
だったら、中に入れんなよ!
と思いつつ、怒っても何も起こらないインドですから、
「ええ、そうですか、ではまた来ますよ。」
大人になりました。

私が待たされたのは、ほんの30分だったので、
まあ、別にそんなに待たされてないし、まあいいや〜って思っていた。

マリアも
「反応しても、こっちが疲れるだけだし、だまって帰ろ」
とかなり冷静。



FRROを出る時、ある事を思い出した。

私といつも同じ時季に登録をする友達がいる。
シルヴァンだ。
一緒に登録に行こう、という話しになっていたんだけど、
私の書類集めが間に合わず、別々に行くことになった。
「7時45分に到着して、11時に役所を出た」と報告があったから、
私の友人のアドバイスを信じて、
「今年は、私は午後の閉まる前に行ってみる!」
と余裕満々で言ったら、
「絶対、早く行った方がいいに決まってる」
って言われたけど、無視した。
見事、シルヴァンの言う通りになった。
早く行った方が良い。でもマリアも彼氏からのアドバイスで、
来ていたので、本当にこればっかりは運試しなのかもしれない。
私はこうゆう事に関して、あまり運がいい方ではないので、
無駄なチャンスを狙わずに地道に行こうと、
月曜の朝に行く事にした。

月曜の朝。
シルヴァンが到着した時刻の同じ位に行く予定だった、
なぜなら午後から授業があったからだ。
しかし、私はちょっと寝坊した。
シャワーも浴びず、私が役所に到着したのは、8時20分。
順番待ち用のリストに名前を記入した所、21番目。
まずまずのスタートである。
寝坊のため、何も用意してこなかったので、
授業用のテキストを呼んだり、チャイを飲みに行ったりして、
ついに9時半、順番通りに並ぶ儀式が行われ、
あの外国人みんなの思いが重なる扉が開かれた。
といっても、地味に緊張しながら順番を待つだけ。

私の前にはヒンディー語を勉強してきているポーランド人と、
アフリカからの学生。
お互いに、色んな事を話しながら順番待ち。

さらに待ち札?をもらい、自分の番が来るまでひたすら待つ。
ポーランド人はインド大使館の手違いで学生がビザが降りず、
そこから、何かややこしい事になっている様子。
かわいそうに、と思いつつ、私はすんなり書類審査をスルー。
待機用のイスはびっちり埋まってしまって、ひたすら立って待たされる。
私の番がやってきた。
ドキドキしながら、最高の笑顔で挨拶をする。
すると、
「賃貸契約書のサインが一つ足りないなーーーー」
えええー?でもそれ、法的に認められた書類だし。。。
ドキドキしながら、あまり相手を怒らせないように
懸命に言い訳と話しを続け、
なんとかスタンプを押してもらえた!
ほほほほほーーーーーーー。
これが、飛び上がる程うれしい!
わかるだろうか、この喜び?

なぜなら、去年この段階で、学校からのレターが
イマイチ信用できないため、また来るようにって追い返されから。

ひゃっほー。
8時20分着の10時45分出!
ルンルンで、行列の脇を歩くと、みんなに
「おめでとーーー!」とか、
「もう済んだのか?何時に来たのか?」とか聞かれる。
喜び溢れんばかりの笑顔で、
「イェスイェース!8時20分!!!!!」
と答えたら、
友達のマリアとルーカスが列の中にいた。
「僕たちは君のたったの10分後に来たのに・・・」
ほほほーごめんね、その10分間がものをいう国、
日本から来てますからーーー!
とルンルンで、FRROを後にし、
余りの嬉しさに、授業前にプールに行くというご褒美を
自分にかして、一旦帰宅してからプールへ行った。


このFRRO、大まかにいえば、
「インド人v.s.インド在住外国人」という図式で、
非常に異空間なのである。
さらに、色々なドラマが生まれるのである。
例えば、アフガニスタン人は入国の24時間以内に
登録する義務があるのに、入国3年目にして、登録に来る人。
ちなみにビザは3ヶ月。。。おそらく強制送還。
赤ちゃんを連れてこいと言われたのに、追い返される親子。
まったく字の書けない、パキスタン人。記入を外国人に頼み、
サインができずボールペンのインクで拇印。
などなど、非常に面白い事に遭遇できるのだ。

業者に頼めば、待ち時間なくいけるけど、
この異様な光景を眺めるのも、年に一度なら悪くはない。

ちなみに、昨年は追い返されて、二週間以内に登録できなかったため、
罰金で約3,000円払わされた。訳あって、三回も通ったのだ。


私を担当してくれたカウンターのおじさん、
デスクをのぞいてみたら、
「怒ることは、自分の弱さを見せること」
って貼ってあったーーー!
まさに、その通りですねーーーーー!

その後、この言葉が頭から離れず、
あまりインド人に怒鳴り散らさないようにしようと心に決めた。

Friday, August 20, 2010

ナマステ。

長らく休んでいたブログ。
ずっと書こうと思っていたけれど、思っていたより時間がなくかけなかった。
友達に旅行の経験に基づくストーリーを書いてくれと頼まれ、
どこに行った話しにするか、何の話しにするか、考えても浮かばない。
人よりも旅行回数と癖のある国を旅してきたのに。

そこで、気がついた。

英語で考えてるから浮かばない。
ユーモアのある事が浮かばないんだと。

ならば、ブログに載せる感覚で、ゆるーい感じで、
日本語で書けば少しはアイデアが浮かぶだろうと思って、
そんな勝手な理由でブログ再開します。

ナマステ。

Thursday, September 24, 2009

Oh my Durkheim, Oh my lovely mac

久しぶりの更新です。
勉強したくないから、英語に触れたくないから、
日本語で思う存分に自分の気持ちを書きたいから、
書くのだ。
利己的理由。


先週は課題のbookreviewで、
JNUの教授だった人の本を選んで読んで書いた。
内容はインドのモダニティーは完全に間違ってる。
というか、インドはまだモダン社会に達してはいない。
という内容。
いい所ばっかりついていて、読んでて気持ちよくなっちゃう。
インド人、そこ違うよねーってかんじで。

でも、その本は2001年に印刷されているから、
今の社会情勢とかから考えるとちょっと無理がある。
モダニティーの定義付けの部分。
モダンナイズされた人間というのは、インフラや生活環境の豊かさが
あってこそ、形成されると思うのです。
(彼が否定していたパートね)
その豊かさには購買力があったりだとか、色々付随してくる要件は
あると思うけど。
その豊さの定義はすごく難しくて、行き過ぎた豊かさは
より人間を凶暴にする可能性が出てくるから、
それはそれで問題。
だから、今世界の経済不況が起こった訳で。

私が何が言いたいかというと、
モダニティーの定義は「均衡」なのである。
モダン社会というのは、均衡が保てる社会なのである。
行き過ぎない豊かさと、それに伴って成長する個人の人格。
これらが集結してこそ、モダン社会に到達するのである。
インドみたいな、超富裕層と超貧困層が存在する社会には、
その均衡を保ってくれる人が必要で、
でも均衡を保ってくれるだろう中流層が、腐敗しているために、
このインドという経済格差が馬鹿でかい国では、
モダン社会に到達することは不可能に近いんじゃないだろうか。
と考えてみた。

まだ、社会学の基礎知識がないから、こんな理論を並べても、
きっと後で自分自身で覆すんだろうかけれど。
メモ代わりに書いてみた。


デリーは宗教祭日が集まるこの時期で、
街は活気に溢れています。
だからか、停電が頻繁に起こるけれど。

24時間の医療機関をもうけろーとプロテストするストライキで、
今日は全授業が休講。
教授と学生がこの学内の医療制度悪さのために亡くなったらしい。
私個人の考えでは、資本主義社会なんだから、
お金があれば、学校の医療施設を利用しないで、
市立病院に行けるだろうし、
こうゆう悲しい出来事は、JNUだけでなく、
インド全土、全世界で起こりうることで、
仕方がないではないか、と思ってしまう。
むしろ、停電や水不足等を無くして勉強する環境を整えてくれー
のストライキをするべきだとう思う。
X線とかの、医療機器を購入する前に、
寮にジェネレーター付けようよ。
各寮に何台か、洗濯機を置こうよ。
寮の生活水準あげるがまず第一だと思うけどなー。
そんな訳で、私はこのストライキをサポートしないのだ。

そんな感じで、私の大学生活は過ぎて行くのです。

Thursday, November 27, 2008

SAD MORNING BOMBAY

「ムンバイでテロがあったけど、あなたは大丈夫?」
と今朝、お母さんからのSMSで目が覚めた。
友人達からも安否確認のメールが入っていた。
何を言っているんだ?

昨晩、CNNIBNというCNNのインド版を見ていたら、
ムンバイの有名なカフェでギャングが発砲したという報道が
トップニュースで流れていた。
フランソワもよく知っているレストランらしく、
大変ショックを受けていた。 フランス映画を中国語字幕で見るという無謀な
挑戦をした後に見たニュースだったために、
気にすることなく、すぐ寝てしまったが、
そんなのんきに寝ている場合ではなかったのだ。

メールチェックをしながら、ただのギャングの抗争ではなさそうだ
と慌ててTVをつけたら、
ムンバイがテロにあったと、大きく取り上げられているではないか。
CNNIBNのリポーターは、
「南ムンバイという高級エリアでハイセキュリティーなロケーション
にも関わらず、ムンバイで悲惨なテロが起きました・・・」
と伝えていた。
セキュリティーなロケーション?
ただホームレスを排除しただけじゃないか。
五つ星ホテルなんて、誰だって簡単に入れるじゃないか。
何がハイセキュリティーだ。
メトロに厳重なセキュリティーをひいているつもりかもしれないけど、
はっきり言って、無駄でしかないじゃないか。
気づいておくれよ、インド人。

今年に入って、インドの主要都市でテロ事件が多発していた。
しかし、政府は主だった対応をしていなかった。
残念なことに丸紅の社員が犠牲になられたようだが、
テロリストが外国人をターゲットにした選択には、
正直関心してしまった。
なぜなら、これが国際問題に発展するからだ。
今までのテロの被害者はほとんどがインド人で、
国内問題として扱われていた。
しかし、今回のムンバイのテロによってインドのテロ問題は、
国際問題へと成り、ヒンディーナショナリズムを世界に伝える
大きな事件となったのだ。
今回はイスラム過激派によるテロだが、インド政府が種を撒いたテロである、
というのが私の意見。

2002年にグジャラートで、ヒンドゥー教の過激派が
多くのイスラム教徒を殺害した、ジェノサイドとも言える事件。
また、今年の夏にはオリッサで、何百人をも超えるキリスト教徒が
ヒンドゥー教の過激派によって迫害された事件。
政府対応というのはお粗末なものだったし、
6月からカシミールで起きている、信じられない状況も
政府は十分に対応していないように感じた。
それは未だにインドがヒンドゥー国家だからだ。
インド国内だけの問題として、
インド政府が隠し続けていた”影”の部分が、
このムンバイのテロによって表舞台へ出ることになるだろう。
対テロとして、アメリカと協力関係になるインド政府が
どう出てくるか、これからの見所だ。

今週末にはデリーでも選挙が行われる。
荒れることが考えられるので、落ち着くまでは外出を
控えるつもりだ。
おろかなインド人達め。


週末スリランカから帰ってきたジョルディとランチの約束を
していたのに、急遽ムンバイに飛ぶとのことでキャンセルに
なってしまった。なんたるタイミング。

昨晩、スポーツニュースで
クリケットインド代表チームのキャプテンが、
「パキスタンでの試合は安全面で不安があるため、
パキスタンでの試合を拒否したい」
とコメントをしていた。
それに対して、私達はCMのフレーズを使って、
「proud to be INDIAN」
とジョークを言っていた矢先に、
このショッキングなテロ。

「インドは安全な国なのか?今年起きたテロの数は?」

インド代表のキャプテンの言葉は、
イギリス代表のキャプテンが言うべき発言だ。
(今日、国際試合がムンバイで行われる予定だった)

インド代表チームはパキスタンで試合をした方が
安全かもしれませんよ?

Thursday, November 13, 2008

I looked for key but the door always opened.

授業の後、いつものメンバー
Tsuring, Adnam, Zico ,Ji-hye
と、みんなでCPをぶらつき、
シェイクスタンドでシェイクを飲んでから別れた。
私はメインバザールの本屋に行きたくて、
みんな付いてきそうだったけど、ゆっくり本を探したかったので、
ツェリンだけ連れて、パハルガンジに行った。
本屋では、チベットの歴史についての本を探したが、
求めていた本は無かった。
その代わり、チベット音楽のCDを視聴しまくった。
いくつか欲しいCDはあったものの、
明らかにコピーCDなので、定価で買うのは悔しいので、
買うのをやめた。
その店で、あるインド人の客と知り合いになった。
彼女は公の仕事をしている人で、
有名なチベッタンのアーティストで刑務所にいる
Dallamのアートディレクターの様なことをしている。
今度紹介してもらえることになった。

ダーバ(インドの庶民食堂)で25ルピーのターリー(定食)を
食べながら、ツェリンとチベットについて話した。

昨日、save the children のコンファレンスがあったので、
私は再びJamia Miliia Islamia universityを訪れた。
教授クラスの人々がプレゼンをしていたが、
コンファレンス自体のレベルは低く、面白いトピックは何もなかった。
そこに参加していたラダック出身の生徒と
ランチブレイクでテーブルが同じだったため、
色々な議論を交わした。
コンファレンスよりこっちの方がよっぽど面白い!
何が面白いかというと、彼はチベットのバックグラウンドを持ちながら、
彼の両親はイスラム教へ改宗し、今はインド人の市民権を持っているという。
多くのラダックの人々は彼のような経緯を辿ったそうだ。
私は知らなかった。
私の中では、『チベット人=ダライラマ崇拝』
という図式が成り立っていたからだ。
チベットに戻りたいか?という質問を投げかけるまで、
私は気づかなかった。
その問いかけに対し、もちろん彼はNOと答えた。

ダライラマ自身はスピリチュアルリーダーと名乗っているが、
彼の活動や、外国との関係を見る限り、明らかに外交をしている
としか思えない。
故に、私個人の意見としては、
ダライラマはポリティカルリーダーでもある。
これは中国の見解でもあって、彼をダラムサラに追いやる
経緯となった一つの理由でもあると思う。
また、彼は、チベットは中国の一部になるべきだ、
と言っている。
しかし、チベット人は中国からの独立を願って、
多くのデモ活動を行っている。
そう、私の図式『チベット人=ダライラマ崇拝』
はまたも崩されることになった。

チベット自治区からの避難民がインドには滞在している。
彼らの一部は教育を受け、インドで就職しようとしている。
しかし、マイノリティーであるチベット人、
インド人ではないチベット人は避難国インドで、
就職難に陥り、不平を漏らしている。
一方で、外国で大学を卒業し、就職して、
その給料のいくらかを家族に送金する。
もちろん家族のためになるが、チベット独立のためにはならない。
個人主義的な考えである。
外から中国へ圧力をかける活動をしているが、
その前に、そのお金や技術を投資して、
何かチベット人自身の企業を立ち上げることはしないのだろうか。
チベット人は自分達の会社を企業することによって、
就職難民のチベット人に還元し、
より独立したコミュニティーを作るべきではないだろうか。
こんなにも多くの西洋の国々がチベット側に立っているのだから、
彼らの支援だって受けられるように努力すべきだ。
インド政府は、チベット人がインドで成功するのにいい気がしないだろう。
でも、中国とインドは経済的に敵対国になりつつある。
インド国内総生産が増えることは、
インドにとっても水準アップでいいこの。
それを支援することで、外国からインドは近代化で、
よりリベラルな考えを持っているというアピールにもなりえるのに。
突然、中国がチベットの独立を宣言したら、
彼らは彼ら自身で何ができるのだろうか。
人はみな違うから、一まとめにしてはいけない。
でも、そんなにもFree Tibetと唱えるのなら、
チベット人はまず一つになるべきである。
はっきり言って、彼らにまとまりが見出せない。
独立した国を建国したいのなら、土台を固めるべきである。