Thursday, September 24, 2009

Oh my Durkheim, Oh my lovely mac

久しぶりの更新です。
勉強したくないから、英語に触れたくないから、
日本語で思う存分に自分の気持ちを書きたいから、
書くのだ。
利己的理由。


先週は課題のbookreviewで、
JNUの教授だった人の本を選んで読んで書いた。
内容はインドのモダニティーは完全に間違ってる。
というか、インドはまだモダン社会に達してはいない。
という内容。
いい所ばっかりついていて、読んでて気持ちよくなっちゃう。
インド人、そこ違うよねーってかんじで。

でも、その本は2001年に印刷されているから、
今の社会情勢とかから考えるとちょっと無理がある。
モダニティーの定義付けの部分。
モダンナイズされた人間というのは、インフラや生活環境の豊かさが
あってこそ、形成されると思うのです。
(彼が否定していたパートね)
その豊かさには購買力があったりだとか、色々付随してくる要件は
あると思うけど。
その豊さの定義はすごく難しくて、行き過ぎた豊かさは
より人間を凶暴にする可能性が出てくるから、
それはそれで問題。
だから、今世界の経済不況が起こった訳で。

私が何が言いたいかというと、
モダニティーの定義は「均衡」なのである。
モダン社会というのは、均衡が保てる社会なのである。
行き過ぎない豊かさと、それに伴って成長する個人の人格。
これらが集結してこそ、モダン社会に到達するのである。
インドみたいな、超富裕層と超貧困層が存在する社会には、
その均衡を保ってくれる人が必要で、
でも均衡を保ってくれるだろう中流層が、腐敗しているために、
このインドという経済格差が馬鹿でかい国では、
モダン社会に到達することは不可能に近いんじゃないだろうか。
と考えてみた。

まだ、社会学の基礎知識がないから、こんな理論を並べても、
きっと後で自分自身で覆すんだろうかけれど。
メモ代わりに書いてみた。


デリーは宗教祭日が集まるこの時期で、
街は活気に溢れています。
だからか、停電が頻繁に起こるけれど。

24時間の医療機関をもうけろーとプロテストするストライキで、
今日は全授業が休講。
教授と学生がこの学内の医療制度悪さのために亡くなったらしい。
私個人の考えでは、資本主義社会なんだから、
お金があれば、学校の医療施設を利用しないで、
市立病院に行けるだろうし、
こうゆう悲しい出来事は、JNUだけでなく、
インド全土、全世界で起こりうることで、
仕方がないではないか、と思ってしまう。
むしろ、停電や水不足等を無くして勉強する環境を整えてくれー
のストライキをするべきだとう思う。
X線とかの、医療機器を購入する前に、
寮にジェネレーター付けようよ。
各寮に何台か、洗濯機を置こうよ。
寮の生活水準あげるがまず第一だと思うけどなー。
そんな訳で、私はこのストライキをサポートしないのだ。

そんな感じで、私の大学生活は過ぎて行くのです。