Thursday, November 27, 2008

SAD MORNING BOMBAY

「ムンバイでテロがあったけど、あなたは大丈夫?」
と今朝、お母さんからのSMSで目が覚めた。
友人達からも安否確認のメールが入っていた。
何を言っているんだ?

昨晩、CNNIBNというCNNのインド版を見ていたら、
ムンバイの有名なカフェでギャングが発砲したという報道が
トップニュースで流れていた。
フランソワもよく知っているレストランらしく、
大変ショックを受けていた。 フランス映画を中国語字幕で見るという無謀な
挑戦をした後に見たニュースだったために、
気にすることなく、すぐ寝てしまったが、
そんなのんきに寝ている場合ではなかったのだ。

メールチェックをしながら、ただのギャングの抗争ではなさそうだ
と慌ててTVをつけたら、
ムンバイがテロにあったと、大きく取り上げられているではないか。
CNNIBNのリポーターは、
「南ムンバイという高級エリアでハイセキュリティーなロケーション
にも関わらず、ムンバイで悲惨なテロが起きました・・・」
と伝えていた。
セキュリティーなロケーション?
ただホームレスを排除しただけじゃないか。
五つ星ホテルなんて、誰だって簡単に入れるじゃないか。
何がハイセキュリティーだ。
メトロに厳重なセキュリティーをひいているつもりかもしれないけど、
はっきり言って、無駄でしかないじゃないか。
気づいておくれよ、インド人。

今年に入って、インドの主要都市でテロ事件が多発していた。
しかし、政府は主だった対応をしていなかった。
残念なことに丸紅の社員が犠牲になられたようだが、
テロリストが外国人をターゲットにした選択には、
正直関心してしまった。
なぜなら、これが国際問題に発展するからだ。
今までのテロの被害者はほとんどがインド人で、
国内問題として扱われていた。
しかし、今回のムンバイのテロによってインドのテロ問題は、
国際問題へと成り、ヒンディーナショナリズムを世界に伝える
大きな事件となったのだ。
今回はイスラム過激派によるテロだが、インド政府が種を撒いたテロである、
というのが私の意見。

2002年にグジャラートで、ヒンドゥー教の過激派が
多くのイスラム教徒を殺害した、ジェノサイドとも言える事件。
また、今年の夏にはオリッサで、何百人をも超えるキリスト教徒が
ヒンドゥー教の過激派によって迫害された事件。
政府対応というのはお粗末なものだったし、
6月からカシミールで起きている、信じられない状況も
政府は十分に対応していないように感じた。
それは未だにインドがヒンドゥー国家だからだ。
インド国内だけの問題として、
インド政府が隠し続けていた”影”の部分が、
このムンバイのテロによって表舞台へ出ることになるだろう。
対テロとして、アメリカと協力関係になるインド政府が
どう出てくるか、これからの見所だ。

今週末にはデリーでも選挙が行われる。
荒れることが考えられるので、落ち着くまでは外出を
控えるつもりだ。
おろかなインド人達め。


週末スリランカから帰ってきたジョルディとランチの約束を
していたのに、急遽ムンバイに飛ぶとのことでキャンセルに
なってしまった。なんたるタイミング。

昨晩、スポーツニュースで
クリケットインド代表チームのキャプテンが、
「パキスタンでの試合は安全面で不安があるため、
パキスタンでの試合を拒否したい」
とコメントをしていた。
それに対して、私達はCMのフレーズを使って、
「proud to be INDIAN」
とジョークを言っていた矢先に、
このショッキングなテロ。

「インドは安全な国なのか?今年起きたテロの数は?」

インド代表のキャプテンの言葉は、
イギリス代表のキャプテンが言うべき発言だ。
(今日、国際試合がムンバイで行われる予定だった)

インド代表チームはパキスタンで試合をした方が
安全かもしれませんよ?

Thursday, November 13, 2008

I looked for key but the door always opened.

授業の後、いつものメンバー
Tsuring, Adnam, Zico ,Ji-hye
と、みんなでCPをぶらつき、
シェイクスタンドでシェイクを飲んでから別れた。
私はメインバザールの本屋に行きたくて、
みんな付いてきそうだったけど、ゆっくり本を探したかったので、
ツェリンだけ連れて、パハルガンジに行った。
本屋では、チベットの歴史についての本を探したが、
求めていた本は無かった。
その代わり、チベット音楽のCDを視聴しまくった。
いくつか欲しいCDはあったものの、
明らかにコピーCDなので、定価で買うのは悔しいので、
買うのをやめた。
その店で、あるインド人の客と知り合いになった。
彼女は公の仕事をしている人で、
有名なチベッタンのアーティストで刑務所にいる
Dallamのアートディレクターの様なことをしている。
今度紹介してもらえることになった。

ダーバ(インドの庶民食堂)で25ルピーのターリー(定食)を
食べながら、ツェリンとチベットについて話した。

昨日、save the children のコンファレンスがあったので、
私は再びJamia Miliia Islamia universityを訪れた。
教授クラスの人々がプレゼンをしていたが、
コンファレンス自体のレベルは低く、面白いトピックは何もなかった。
そこに参加していたラダック出身の生徒と
ランチブレイクでテーブルが同じだったため、
色々な議論を交わした。
コンファレンスよりこっちの方がよっぽど面白い!
何が面白いかというと、彼はチベットのバックグラウンドを持ちながら、
彼の両親はイスラム教へ改宗し、今はインド人の市民権を持っているという。
多くのラダックの人々は彼のような経緯を辿ったそうだ。
私は知らなかった。
私の中では、『チベット人=ダライラマ崇拝』
という図式が成り立っていたからだ。
チベットに戻りたいか?という質問を投げかけるまで、
私は気づかなかった。
その問いかけに対し、もちろん彼はNOと答えた。

ダライラマ自身はスピリチュアルリーダーと名乗っているが、
彼の活動や、外国との関係を見る限り、明らかに外交をしている
としか思えない。
故に、私個人の意見としては、
ダライラマはポリティカルリーダーでもある。
これは中国の見解でもあって、彼をダラムサラに追いやる
経緯となった一つの理由でもあると思う。
また、彼は、チベットは中国の一部になるべきだ、
と言っている。
しかし、チベット人は中国からの独立を願って、
多くのデモ活動を行っている。
そう、私の図式『チベット人=ダライラマ崇拝』
はまたも崩されることになった。

チベット自治区からの避難民がインドには滞在している。
彼らの一部は教育を受け、インドで就職しようとしている。
しかし、マイノリティーであるチベット人、
インド人ではないチベット人は避難国インドで、
就職難に陥り、不平を漏らしている。
一方で、外国で大学を卒業し、就職して、
その給料のいくらかを家族に送金する。
もちろん家族のためになるが、チベット独立のためにはならない。
個人主義的な考えである。
外から中国へ圧力をかける活動をしているが、
その前に、そのお金や技術を投資して、
何かチベット人自身の企業を立ち上げることはしないのだろうか。
チベット人は自分達の会社を企業することによって、
就職難民のチベット人に還元し、
より独立したコミュニティーを作るべきではないだろうか。
こんなにも多くの西洋の国々がチベット側に立っているのだから、
彼らの支援だって受けられるように努力すべきだ。
インド政府は、チベット人がインドで成功するのにいい気がしないだろう。
でも、中国とインドは経済的に敵対国になりつつある。
インド国内総生産が増えることは、
インドにとっても水準アップでいいこの。
それを支援することで、外国からインドは近代化で、
よりリベラルな考えを持っているというアピールにもなりえるのに。
突然、中国がチベットの独立を宣言したら、
彼らは彼ら自身で何ができるのだろうか。
人はみな違うから、一まとめにしてはいけない。
でも、そんなにもFree Tibetと唱えるのなら、
チベット人はまず一つになるべきである。
はっきり言って、彼らにまとまりが見出せない。
独立した国を建国したいのなら、土台を固めるべきである。

Izhar Askar

     

        おじいちゃんとZico
zicoのおじいちゃんに会いに、
彼の家に遊びに行った。
ジーコのおじいちゃんは、ウルドゥーのライターで、
どんなトピックも扱える、とても博識な方。
世界で始めて、科学を詩の中で扱った詩人でもある。
科学と詩という、ありえない組み合わせの詩を
想像できるだろうか。
ものすごい発想というか、詩という世界を
崩した爆発的な発想だ。
アッラーが私達を作ったと信じている人達が、
どうして科学を受け入れられるというのか。
単純に疑問に思った。

ウルドゥーの詩はとても綺麗な世界で、
多くの有名な詩人を輩出している。
残念なことに、私はウルドゥーがわからないので、
その本当の良さは語れない。
もちろん、英訳された詩は出版されているけれど、
その世界を知ろうと思ったら、
その言葉を理解しない限り、本当の詩の意味は捉えられない。
面白いことに、ジーコはムスリムのくせにウルドゥーが読めない。
彼はもっとウルドゥーを勉強すべきだ。
こんなにも素敵なおじいさんを持っているのに、
もったいないではないか!

前から、彼のおじいちゃんに会うのを楽しみにしていたので、
今日はとても光栄な一日となった。
彼は、推定80歳で、多くのウルドゥー文学の賞を受賞している。
マハラシュートラの理科の教科書の執筆にも加わっているそうだ。
それに加えて、インドの首相からも賞を受賞しているのだ。
素晴らしすぎる!
見かけはただの、眼鏡の度が合ってないおじいちゃん。
彼が執筆した本なんか、全部ほこりがかかって転がっていて、
古本屋の売れ残りの本みたいに扱われていた。
でも私からしたら宝の山のように見え、とても興奮した。
何が書いてあるかさえ、予想できないのに。

おじいちゃんは裕福ではないけれど、とても暖かくて、
私の頭に手をおいて、私を孫として迎え入れてくれた。
本当に本当に嬉しかった。


そして、面白いことにzicoのお父さんは漫画家だった。
漫画家といっても、ストーリーを書く仕事で、
絵は別の人が描くらしい。
日本のように印税制度ではなく、一つのストーリーを売るため、
いくら漫画が売れようが、彼の収入は変わらないらしい。
一つのストーリーで1000ルピーを稼いだという。
当時にしては、とてもいい給料だ。
90年代以前は、漫画はインド人にとっての一つの娯楽であった。
だが、TVの普及によって漫画文化は衰退し、
漫画家であった彼のお父さんは仕事を失い、
仕事を変え、今はレストラン経営をしている。
発展と犠牲は常なる関係。
むなしく感じた。

 
Zicoのお父さんと彼の作品達

彼の母方のおばあちゃん宅で晩御飯をごちそうになった。
そう、イスラム教徒のホスピタリティーの高さにはいつも感激する。
初めてなのに、久しぶりに家族にあった感覚になる。
これは私が訪れた全てのムスリムの家族に言えることだ。
彼らは私の期待を裏切らない。
彼らいつも家族と一緒。

核家族ではなくて、
全ての家族と一緒に過ごすのだ。
私はイスラム教徒の家族が大好きだ。
もちろん、彼らの教えに従うことはできないけれど、
彼らの人間としての完成度には、いつも感心させられる。
家族全員の家にASalam walaiqumと言いに行く儀礼。
これ一番大好き。


     
           Adman, me and Zico

これでもかというぐらい、お腹いっぱい食べて、
今度はアドマンの家にお茶を飲みにいった。
彼のお母さんはパキスタン人で、
両親はいとこ同士。すなわち、父親にもパキスタンの血が流れている。
しかし、彼はインドで育ったため、インド人である。
パキスタンの血が入っているので、みんな見事に綺麗な顔立ちをしている。
彼のお父さんは、英語とパシュトゥー語の同時通訳として、
パキスタン、アフガニスタンにラジオでニュースを流している。
これまた興味深い。
両家とも裕福ではないけれど、とてもいい家族で、
というか、パテルナガルのムスリムコロニー自体が、
いわゆるムスリムのコロニーで、
どこかインドとは異なり、薄暗く、下級の上か中級の下という感じ。
この雰囲気もとても好き。
今度はムスリムコロニーで部屋を探そうかな。

中央アジア、西アジアの歴史と問題を学ばなければならない。
プラス、ウルドゥーもしくはペルシア語をもっと理解する必要もある。
もちろん、チベットの歴史も知らなければ。
私の好奇心は今マックスに高まっている。
こんなにも素敵な私のイスラム家族が近くに住んでいるのに、
私は南デリーに行くのか。こんな時にかぎって。
グリーンパークでも素敵な出会いがありますように!
08/11/08

Tibetan colony in Delhi

私が通うBritish Council と同じ通りに
American Centerがある。
さすが、何台もの車が撮影のために集合し、
開票結果の時を待っているではないか。
着々と投票数が加算されている様子を
お気に入りのフレッシュジューススタンドで
バナナシェイクを飲みながら、拝見させてもらった。
オバマさん、世界中の国々が君の活躍を期待しています。
マーケットの回復、対テロ対策、第三世界への援助・・・
アメリカの大統領、すなわち世界を破滅することができる座。
若いからという理由で、失敗は許されませんぞ。
日本の小浜市民の皆様は彼の祝勝、さぞかしお喜びでしょう。
のんきなもんだ。


     
TseringとAdnam とZicoと授業後にチベット人の
コミュニティーに行った。
チベッタンとムスリムと無宗教の異色グループ。
サイクルリキシャーに揺られ、コロニーに到着。
コロニー自体は小さく、質素なかんじだが、
そこはチベット宗教の幸運を祈る色とりどりの旗が掲げられ、
いかにもチベット地区にやってきた、という気分になる。
門を潜れば、マーケットの匂いはインド独特のそれとは異なり、
ミルクと香辛料が入り混じった様な、なんとも言えない匂いが漂う。
チベットコロニーであるだけあって、
我々日本人と同じルーツのモンゴリアンの顔が
迎え入れてくれる。

店員は客引きをすることなく、静かにチベットの宗教的な道具を
ぐるぐる回して、祈りながら客が来るのを待っている。
もちろん、話されている言語はチベット語だ。
商店には中国製の食品や中国茶のティーセットなどが並んでいる。

参考までに、私の個人の意見だが、それぞれの宗教で
ファッション感覚が異なっているように思う。

勝手にファッション評価(北インド編)。
ベストはチベット人。おしゃれだ。日本人の感覚に近い。
ナンバー2はムスリム(特にカシミール出身者)。比較的おしゃれにしている。
しかし、彼らはサングラスが大好き!
ナンバー3はシク教。おしゃれだし体系もいいし、美男が多い。
ワーストはヒンドゥー。典型的なインド人。
若者は胸板をいかに厚くするかに、情熱を費やし、
はちきれんばかりのださいTシャツを着ているものだから困ったもんだ。
ランクしなかった宗教はごめんなさい。
でも、これだけは宗教問わず言わせてもらいたい。
インドのナルシスト男子諸君よ、
その習い事カバンはやめ給え!
そのプラスチックバッグで登校するのはやめたまえ!
以上。
女子達は比較的みんな同じような服装。
ものすごいダサい人もいなければ、
ものすごいおしゃれな人も特にいない。
あ、女君に一つだけ。
靴下はもう少し考えた方がいいよ。
北東部出身の子達は、比較的受け入れやすい格好をしている。
おかげで、私は最近全く日本人に思われない。
何だか悔しい。

話は戻って、
このコミュニティーは北デリーにあり、
ものすごい大気汚染の中にある。
太陽は見えるものの、空は汚染された空気に覆われ、
雲すら見えない。
こんな中で十年も生活したら、私の肺は蝕まれて潰れること間違いなし。
たったの数分で私の喉はやられ、呼吸しづらかった。
コロニーには反中国のポスターがたくさん貼ってある。
4月にオリンピックの聖火ランナーがやってきた時に、
チベット人がインド門で、デモを起こした。
その前後に、配布されたチラシと同じ写真が
今でもチベットコロニーでは使われている。
中国政府に殺された人写真、腸を丸出しにされた写真など、
生々しい写真ばかりだ。
チベット人の視野に犠牲者を日常的に入れることで、
反中国精神を作り出すのは容易い。
私ですら、危うく中国批判をしてしまいそうだった。
中国側はチベット自治区と認可しているにも関わらず、
ダライ・ラマはインドに亡命中。
中国政府はチベットに対して、もっと自由化すべきだ。
でも、果たしてこの反中精神はこれでいいのだろうか。
ダライラマ14世の、理想と異なる精神を持ち始めるように
なるのではないだろうか。
冷静に中国とチベット自治区の関係や歴史
を学んでいかなければならない。

ツェリンがダライ・ラマのドキュメンタリーのDVDを
プレゼントしてくれたので、さっそく観てみた。
世界がどう、ダライラマを見ているか。
反中的に偏りのある撮られ方だったけれど、


非常に興味深かった。
もう少し勉強してから、コメントをすることにしよう。

この国は面白いぐらい、国際問題がある。
パキスタンとの国境ライン。
バングラデッシュ人の不法移民、そして不法滞在。
アッサムと中国の国境ライン。
国内問題まであげたら切が無い。

大陸と島国でこんなにも差があるものか。
無宗教の第三者として、冷静に問題を見られるという、
島国出身の特権を生かして、
インド諸事情を見守っていこう。

   
04/11/08

Sunday, November 2, 2008

Bad luck or Good luck?

幸運も不運も本当に一枚のコインの表裏のようなもの。
紙一重だ。

今日は朝からクラスがあった。
このクラスは基本的な文法を習うクラス。
クラスメイトは同世代の子が多く、
一番の仲良しはチベット系のツェリン。
いつも、チベットについて教えてくれる。
次に仲が良いのは、そのツェリンの隣の席のアドマン。
彼はパンジャーブ出身のイスラム教徒。
JNUでパシュトゥー語の専攻をしていた子で、
偶然にも同じ地区に住んでいる。

※パシュトゥーはアフガニスタンでも話されている言語の一つ。
 JNUは 言語学のコースだけ、学士コースがある。

ペルシャ語とパシュトゥー語は似ているため、
久しぶりにペルシャ語を使うことができたが、
恥ずかしいことに、ほとんど忘れていた。笑

そんな仲間達ができ、
授業後はみんなで少しおしゃべりをしたり、
途中まで一緒に歩いて帰ったりする。
いかにもスクールライフ。

とにかく、家に帰って携帯を見たら、
不在着信とSMSが入っていた。
おおーフランソワズからだ。
ドキドキしながら、SMSを見たら、
フラットに今月から入れるという内容だった!
やったー!
電話をかけ直して、さっそく明日会う約束をした。
とても嬉しくて、嬉しくて、
この報告をイタリア系フランス人のママ、マリーにしたくて、
近くのサイバーカフェに行った。

その帰り、今日は新聞を読み漁ろうと、
はりきって家に向かって歩いていた。
家の前のT字路に通りかかったとき、
ものすごい勢いのバイクが走ってきた。
そしてクラッシュ・・・。

慌てて、私は跳び箱が飛べなかった時の要領で、
バイクに手を付き、自分の体を避けた。
もちろん、手に持っていたサングラスも携帯も瞬時に
手から離して。
バイクは止まることなく、
あたかも私が悪いかのように、
二人組みは私を睨みながら風の様に去っていった。
Hit-and-Run
もしくは、外国人だから逃げたか。
こんな時、外国人に対し、インド人は不可抗力である。
警察でさえ、
外国人との問題を避けたがる国インド。

スピードが速かったため、
ナンバーを抑えることができなかった。
常識のある人なら、
まず第一に乗り物を止めて、
相手の怪我がないかどうか、
確かめるのが普通ではないだろうか。
これじゃ、ただの当て逃げだ。
神様にささげる花を売ってる男でさえ、
気を使って、ここに座りなさい、
と気遣って声をかけてくれるのに。
とりあえず悔しいから、
ものすごいデカイ声で文句だけとりあえず言っておいた。
“What a mother fucker!”

私は左手中指の突き指と、
右膝を打っただけで、特に怪我はしなかった。
これが骨折でもしていたら、どうだっただろうか。
ナンバーがわかっていたら、
すぐにインド警察と在印日本大使館に連絡して、
問題解決に向かうのだが。
ナンバーも誰なのかもわからないのだから、
大使館に訴えたところで、拉致があかない。
憤慨した私は、周りの目撃者と文句を言い合っていた。
みんなその二人乗りの男を見たことはない。
と言っていた。

ここは住宅街で、
子供だって外に出て自転車を乗ったりしている。
減速するのが常識だろう。
勢い良くカーブしていく車とか、
本当に信じられない。

今度見つけたら、
この突き指した中指を立てて
もう一度言ってやる。
“Mother fucker” 
大きな怪我をしなかったのが、唯一の救いだ。

“Thanks God” の前に、 “Thanks 私の反射神経”
01/11/08

Peace

今日は、朝起きられなかった。
ジョルディからSMSでランチの誘いが入っていた。
返信ができない私は、電話で返事をした。
ビザの延長で、スリランカにしばらく行くというので、
会うことになった。
彼は新聞のウェブサイトにもブログを持っている。
今日は、そのブログの記事を書いたそうだ。
もちろんスペイン語なので、よくわからないが、
インドの東北部の内容だそうだ。

昨日、一日にしてアッサムの13ヶ所でテロがあった。
死亡者数は65人にもなった。
そのテロのうち、一箇所はセキュリティーの高いエリアで
起きたそうだ。
この数ヶ月で、インド国内だけで信じられない頻度のテロが起きただ。
一昨日になるが、隣国のパキスタンでは
マグニチュード6.4の地震が起こり、
175人が犠牲になった。
三年前の2005年には7.6の地震によって約7300人の人が亡くなった。
インドが英国からの独立し、パキスタンがインドから分かれた際、
パンジャーブにいた人の家族は、
パキスタンとインドに分かれることになった。
この犠牲者の何人かには、
その親族が混じっているのかもしれない。


日本のメディアが取り上げる死亡事故や死亡事件と
インドのメディアが取り上げる死亡事故や死亡事件の
犠牲者の数はケタ違いだ。
日本とインドでは国民の宗教、民族、言語、
どれを比較しても、遥かに違う。
単一民族国家の日本では想像できないほどの
問題が起きるわけだ。


インドの山ほどあるテレビ番組の一つに
Peace TV
というチャンネルがある。
イスラム系のチャンネルで、
サウジアラビアでも放送されている。
今日はアメリカ人の指導者 Mr,Green
が演説をしている様子が放送されていた。

『我らイスラム教徒こそ、平和の魂を持ち、
真の平和が何か知っているのだー!』

さすが、ピースチャンネル。

ではMr.Green質問があります。
ジハード(神のために戦うこと)で無垢な人々を殺すことが
真の平和に繋がりますか?

テロのニュースが流れる時に、
常に忘れてはならないことがある。
テロリスト達は、
イスラムの一部の過激派の人達だということ。

イスラム教徒達は本当に優しいし、
常に誰かの事を思っている。
彼らの心は本当に素晴らしいと思う。

それぞれの宗派のコーランの解釈によって、
こんなにも思想が過激に広がったことを
とても残念に思う。

インドを一口で表せない様に、
イスラム教も、一口では表すことはできない。
でも、“イスラム教”こそ真の平和を知っている
と言うのなら、
その言葉に是非とも反論させていただきたい。

Mr.greenは第二次世界大戦について、
アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア
と、国を挙げて彼の平和論を繰り広げていたが、
パキスタンと言う国は言及していなかった。(インドで放送されるため)

さすが、ピースチャンネル。


ディワリが過ぎると、季節は冬に向かう。
六時頃には日が暮れ、暗くなる。
季節の推移はとても早い。
秋がないわけだ。
今日は6時間太陽の光を逃した。
明日はその6時間を取り戻そう。
10/31/08

汚染された空気に汚染された国民。

インドに来た人はわかる。
デリーはとにかく空気が悪い。
鼻の中はすぐに真っ黒。
体毛はそれをカバーしようとするため、
毛という毛は濃くなる。
東京みたいにネオンや高層ビルはないのに、
星が見えない。
夜の空は赤く染まる。
体を洗えば、石鹸の泡は黒く、
洗顔後のコットンだって茶色くなる。
白い服なんて、一生かけて洗っても白くならない。
とにかく汚染されている。

タージマハルも排気ガスから隔離されるわけだ。

経済成長のために、
中国共にCO2削減に賛同しきれない気持ちもよくわかる。
でも、これ以上続けたら、
インド国民の寿命を縮めるだけ。
金持ちは窓を閉めて冷房をかけて車に乗って、
排気ガスを出しているだけかもしれない。
でも、リキシャーワーラーや道で生活している人達は
汚れた空気を四六時中吸わなくてはならない。
どこに重きをおくか。
Chandryaan打ち上げの問題と同じ。
発展と犠牲。
インドはどちらを優先するか、吟味していただきたい。
あぁ、でも何十億も人口がいたら政府は面倒見切れないから、
貧困削減で、間接的に人口を減らす闇の大政策なのか。
インド人は腹黒い。
大いにあり得る。
10/31/08

乗車教育

今日も、携帯のためGoalMarketに行った。
不運にも、エンジニアが修理屋にいなかったため、
違う支店に行く羽目になった。
そのマーケットから10分ぐらい歩くと、
CPに着く。
昨日の経験で、夕方のバスにはうんざりなので、
メトロに乗るためにCPまで歩いた。
するとなんと、九月にテロがあって以来閉鎖されていた
センターパークが開放されているではないか!
昨晩マリーを空港に送った後、
節約のために、同じ地区に行く人を捕まえて
タクシーをシェエアをした。
その人はハンディクラフトの買い付けに来たという。
インドによく来る人なので、
話題は最近のデリーについて。
その中で、テロの影響でセンターパークが閉まっていると
言ったばかりなのに、
今日開放されているじゃないか。
なんたること。
でも、みんなテロを警戒してか、
公園内には以前程の人はいなかった。

そこからメトロで、
デリーの秋葉原Karol Baghに向かうため、
ホームでメトロを待っていた。
すると係りの人が誘導して、
「電車を降りる人を優先、道を明けなさい、」
と指導している。
ここは小学校か!!
インド人が電車のマナーを知るのと、
メトロが空港まで伸びるの、
どちらが早いか楽しみだ。

メトロは日本のODAと技術協力によって、
建設されている。
物を与えるだけでなく、その使い方も教えなければ
意味がない。
人ごみになると、インド人は興奮状態になりやすい。
だからジョードプルの寺院で多数の事故死者が出たんだ。

NGOやボランティア団体が電気を地方の村に通しても、
しっかり活用法を指導しなければ、ただの記念物。
それと同じでしょう。


追伸、
今日のTIMES OF INDIAの二面の一部に、
デリー警察からのメッセージが。(以下参照)

交通ルールに従いましょう。
すること;常に線で止まること
     常にヘルメットを着用すること
     常にシートベルトをすること
     常に免許書等のドキュメントを携帯すること
しないこと;飲酒運転
      脅しでクラクションを使わないこと
      Don’t use Fancy number plates (英語の方が面白いので)
      信号無視をしないこと

インド人のハイクラスの人は第一言語が英語。
そのハイクラスの人達が雇うドライバーの大半は英語が読めない。
すなわち意味がない。
違反だって、たったの100ルピーで問題解決。
インフラを整える前に、交通法の徹底が先だろ。
インドにはかなわない。
10/30/08

からわまりなのか、からまわったのか。

マリーが帰国する日、最後の晩餐をすることになった。

授業の後、クラスメイトのチベット系の子ツェリンと韓国人の子ジーヘイと
コーヒーを飲みながらおしゃべりをした。
その後、壊れた携帯を見せに行くために、
通信会社に行ったのだが、
ソフトウェア上の問題だから、NOKIAに行けと言われた。
くそっ。

なんだか悔しくて、
フレッシュジュースを飲んで気を休めた。
そこで、謎のインド人と出会う。
そのインド人の父親はJ.N.Khaanという名で、
NHKでインドのリポートをしていたという。
今は日本語教育だけしているという。
その繋がりで、NHKと契約している人紹介してもらった。
怪しいので、自分の電話番号は与えず、
オフィスの住所だけもらっておいた。
そこからNOKIAがあるGoalMarketに行った。
しかし、そんな予感はしていたよ。
NOKIAは休み。
くそっ。

バスに乗って帰宅したが、
そのバスが、また最悪だった。
ものすごい混み様で、子供ははしゃぐし、
隣に座ってるばあさんは臭いし、
まさに生き地獄。
自分の降りるバス停に近づいたので、
人を掻き分けて出口に向かうが、
みな退かないから辿り着けない。
くそっ。

私のイライラはピークに達し、
みんなにどなり散らしてやった。
日本では絶対に恥ずかしくてできない。
というか、日本ではそんなこと起きない。
結局、自分のバス停では降りれず、
一つ先のバス停まで行ってしまった。
くそっ。

帰宅してから、
ディディがチャイを作ってくれた。
マリーとの約束の時間までまったり家で過ごした。
その出掛け間際、
そのインド人家族も九時半からの映画を見に行くというので、
12時半まで家に入れない、ということが判明。
(鍵が一つしかないため。)
そこで、時間つぶしに、
私もマリーと一緒に空港に行くことにした。
家族は1時ごろ帰宅することを見越して、
12時半になってから、プリペイドタクシーのカウンターに行った。
すると帰宅途中の車内で携帯が鳴った。
インド人家族の父親からだ。
「どこにいるんだ?もう寝るぞ」
なんと映画に行かなかったそうだ。
だったら、そう伝えてくれれば、
私はもっと早く帰ってきたのに。
くそっ。

夜になると、私の住んでいるエリアは表のゲートが閉まるため、
オートも車も入ることができない。
タクシーを降りて、徒歩で家に向かった。
時間も遅く、一本隣の明るい道を歩いた。
その選択が間違いだったのだろうか。

三匹の犬に囲まれた。
インドの犬は弱く、物を投げる振りや足を鳴らすだけで、
逃げていくのだが、
なぜかその三匹にはあまり効果がない。
くそっ。
三匹に行く手を塞がれ、しかも唸り始めたので、
怖くなって駐車してある車に登って避難した。
車は一応TATAの軽を選んでおいた。笑

夜中に何やってるんだろう。
三匹が吠え続けて埒が明かないので、
仕方なく犬を脅しながら、走って逃げることにした。
くそっ。
ださすぎる。
去年、ノイダで猿と戦ったことを思い出す。
くそっ。
私のお菓子、Aloo Bhuja

夜道で何が一番怖いかって、
変な人よりも犬が一番怖い。

帰ったら、日付は変わって一時半。
インド人家族の父親に怒り気味で文句を言われた。
くそっ。

こちらも言い返してやった。
私だって、週末何時に帰ってくるかわからない君達を
シャワーも浴びず待っているんだ。
少しでもこっちの気持ちも知れ。
とにかく早く引っ越したい。

ちなみに、マリーと食事をしたレストランで、
パコラ(野菜のフライ)を注文しても
作れないと言われた。
くそっ。
バターナーンを注文したが、
ウェイターがキッチンに言い忘れたため、
出てこなかった。
くそっ。
デザートにグラブジャムを注文したが、
無いと言われた。
くそっ。

くそっ。くそっ。くそっ。

世界共通両親苦悩

思春期の子供を持つ親の悩み。
きっとこれは世界共通。
滞在している家の長男についてディディは頭を抱えている。
いつも鏡を見て、外見を気にして、
ゲームや携帯ばかりいじって、勉強をしない。
たしかに奴はナヨナヨしていて、
ライナス症候群なのか、タオルを常に持ち歩き、
サッカーのゲームばかりしている。
その彼は、まだ14歳。
本当かどうか知らないが、
将来の夢は俳優だと言う。
うん、お世辞にも無理だな。
まあ、まだ14歳だから夢を持って生きたらいい。
ただ、ディディさんよ、
長男の目の前で、
弟と比較して、弟はいい子、
この子は駄目な子というのは止めた方がいいのでは。
10/29/08

Happy Deepawali!

今日は、フランス人のバイヤーをしている友人マリー(Marie)と会う約束をした。
彼女はお母さんと滞在した同じホテルで知り合った、
とても人懐こい感じの中年の女性。
フランス訛りの英語を話し、とても雰囲気があって素敵な人。
今は洋服やアクセサリーのデザインをし、フランスに店を持っている。
とても魅力的な女性で、その魅力は彼女の経歴から来ているものだった。
現在はカンヌ映画祭にも、毎年通訳として参加しているらしい。
経歴もすごいが、何よりその前向きな生き方に圧倒された。

ディワリに合わせて、彼女がネパールからインドに戻ってきた。
そこで、再会することになり、彼女の友人の家に招待してもらった。
その友人のフランス人(Francios)も、これまたアッパークラスな人で、
三年前にファッションビジネスでインドに来たが、
今はフリーで仕事をしているらしい。
インド・ヨーロッパのファッションファンデーション(?)の一人者。
NGOやUNのプロジェクトにも携わっている。
この人のフラットの一部屋を12月から借りられる。
もしかしたら、11月から入れるかもしれない。
来月から移りたいな・・・。
連絡待ちの日々。

今までは三十代友人が多かったが、
ここ三十後半から四十代になってきた。
自分も年を重ねたわけだ。

そして、フランソワズのご近所友達はドミニカ共和国のアンバサダー。

ハイクラスの人達+何ヶ国語も操る中年の人達に囲まれて、
ものすごい刺激を受けた。
その人達を見て思ったことは、
自分に自信を持てば、何でもできるということ。
自信を持つためには、もちろんたくさん学んで、
経験を積まなければならないが。

ウォッカをロックで乾杯し、高級住宅街のグリンパークを堪能してから、
私とマリーは地獄(パハルガンジ)に戻った。
無秩序に打ちあがる花火と予期せぬ内に放火される爆竹戦争の中
ルーフトップレストランに何とか生還。
エンドレスに打ちあがる360度パノラマ花火に話しを中断されながら、
音楽の話やらイスラム教やら皮肉やらの話で盛り上がった。

太古の魚

インドのメトロに乗れば感じるだろう。
厳重そうに見せかけて、あまり効力のないセキュリティー。

最終のDwarka9行きの電車をホームで待っていたら、
ちょうどセキュリティーの人も仕事上がりだったので、
一緒に電車を待つことになった。
名前はShahoo。
彼は独り身で両親も亡くしたそうだ。
推定50代。
給料は一ヶ月18000ルピー。
それに満足しているという。
貯金はできないにしても、
贅沢しなければ、一人暮らしなら私でもやりくりできる額だ。
出勤時間は2時から11時の8時間。
仕事が必要になったら、メトロでセキュリティーをしよう。

Shahooとヒンディーで必死のやりとりをしていたら、
周りに人が集まってきた。
話は一転し、インドの教育について。
その群集の中に英語を話す人がいたので、
貧困層に対して、政府の対策はどう思うか聞いてみた。
十億以上の人口を持つこの国で、
国民全員をケアすることは不可能。
だそうだ。
確かに、実現するには気の遠くなるような歳月を要する。
でも明らかに、外見だけで骨無しの対策もどうかと思う。
10/27/08

Deepawali Eve

今日はインド人の最大ともいえるイベントの日。
Lord Ram の帰還を祝う。
前夜はみな親戚の家を訪れ、甘いお菓子やプレゼント交換をする。
本番の日は、家でRam とGaneshにプージャ(祈り)を捧げ、
その後、花火や爆竹を鳴らし盛大に祝う。
そして、それと共に新年の祝いも済ますらしい。
ディワリのグリーティングカードには
『Happy Diwali and happy new year!』
と書かれている。
新年まで二ヶ月近くあるのに・・・。
インド人に聞いたら、同時に贈って事を済ますとか。
インド人ではない友人が言うには、
インドの暦では新年だからだとか。
どっちなんだろう。
願わくは、後者であって欲しい。

その前夜祭、私はレストランでジョルディとビールを飲んで祝った。
鳴り狂う爆竹と花火の中、世界経済と日本経済について話した。
バブルの悲劇が再来している日本は、一体どうなるのだろうか。
第二次バブル期、その名も
『打ち上げ花火経済期』
どうだろう、このネーミング。
打ちあがった花火は灰となって地面に落ち、塵となる。
日経平均や為替状況を久しぶりにチェックしたら、
空いた口が閉じなくなった。
今日は少し取り戻したものの、まだ7千円代。
麻生さんどうするよ?
しかし、私にとって円安状況は大歓迎である。
インドのマーケットはというと、
SENSEXやNIFTTYは毎日のごとく続伸下落。
前日比は上下しているものの、下落は下落。

連日ニュース番組は経済ニュースを主に報道している。
前々からインド経済はバブルを迎えると言われていたが、
私の考えはそれに否定的だった。
でも間違っていた。さすが経済アナリスト達。
もちろんインドにも円安傾向は現れていて、
慌ててルピーを引き出した。
ユーロ高にも驚きだ。
FXをやりたい・・・。
日本のブランド世代よ、パリでルイヴィトンバッグを買い漁るんだ!!
10/27/08