Thursday, November 13, 2008

I looked for key but the door always opened.

授業の後、いつものメンバー
Tsuring, Adnam, Zico ,Ji-hye
と、みんなでCPをぶらつき、
シェイクスタンドでシェイクを飲んでから別れた。
私はメインバザールの本屋に行きたくて、
みんな付いてきそうだったけど、ゆっくり本を探したかったので、
ツェリンだけ連れて、パハルガンジに行った。
本屋では、チベットの歴史についての本を探したが、
求めていた本は無かった。
その代わり、チベット音楽のCDを視聴しまくった。
いくつか欲しいCDはあったものの、
明らかにコピーCDなので、定価で買うのは悔しいので、
買うのをやめた。
その店で、あるインド人の客と知り合いになった。
彼女は公の仕事をしている人で、
有名なチベッタンのアーティストで刑務所にいる
Dallamのアートディレクターの様なことをしている。
今度紹介してもらえることになった。

ダーバ(インドの庶民食堂)で25ルピーのターリー(定食)を
食べながら、ツェリンとチベットについて話した。

昨日、save the children のコンファレンスがあったので、
私は再びJamia Miliia Islamia universityを訪れた。
教授クラスの人々がプレゼンをしていたが、
コンファレンス自体のレベルは低く、面白いトピックは何もなかった。
そこに参加していたラダック出身の生徒と
ランチブレイクでテーブルが同じだったため、
色々な議論を交わした。
コンファレンスよりこっちの方がよっぽど面白い!
何が面白いかというと、彼はチベットのバックグラウンドを持ちながら、
彼の両親はイスラム教へ改宗し、今はインド人の市民権を持っているという。
多くのラダックの人々は彼のような経緯を辿ったそうだ。
私は知らなかった。
私の中では、『チベット人=ダライラマ崇拝』
という図式が成り立っていたからだ。
チベットに戻りたいか?という質問を投げかけるまで、
私は気づかなかった。
その問いかけに対し、もちろん彼はNOと答えた。

ダライラマ自身はスピリチュアルリーダーと名乗っているが、
彼の活動や、外国との関係を見る限り、明らかに外交をしている
としか思えない。
故に、私個人の意見としては、
ダライラマはポリティカルリーダーでもある。
これは中国の見解でもあって、彼をダラムサラに追いやる
経緯となった一つの理由でもあると思う。
また、彼は、チベットは中国の一部になるべきだ、
と言っている。
しかし、チベット人は中国からの独立を願って、
多くのデモ活動を行っている。
そう、私の図式『チベット人=ダライラマ崇拝』
はまたも崩されることになった。

チベット自治区からの避難民がインドには滞在している。
彼らの一部は教育を受け、インドで就職しようとしている。
しかし、マイノリティーであるチベット人、
インド人ではないチベット人は避難国インドで、
就職難に陥り、不平を漏らしている。
一方で、外国で大学を卒業し、就職して、
その給料のいくらかを家族に送金する。
もちろん家族のためになるが、チベット独立のためにはならない。
個人主義的な考えである。
外から中国へ圧力をかける活動をしているが、
その前に、そのお金や技術を投資して、
何かチベット人自身の企業を立ち上げることはしないのだろうか。
チベット人は自分達の会社を企業することによって、
就職難民のチベット人に還元し、
より独立したコミュニティーを作るべきではないだろうか。
こんなにも多くの西洋の国々がチベット側に立っているのだから、
彼らの支援だって受けられるように努力すべきだ。
インド政府は、チベット人がインドで成功するのにいい気がしないだろう。
でも、中国とインドは経済的に敵対国になりつつある。
インド国内総生産が増えることは、
インドにとっても水準アップでいいこの。
それを支援することで、外国からインドは近代化で、
よりリベラルな考えを持っているというアピールにもなりえるのに。
突然、中国がチベットの独立を宣言したら、
彼らは彼ら自身で何ができるのだろうか。
人はみな違うから、一まとめにしてはいけない。
でも、そんなにもFree Tibetと唱えるのなら、
チベット人はまず一つになるべきである。
はっきり言って、彼らにまとまりが見出せない。
独立した国を建国したいのなら、土台を固めるべきである。

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